2007年06月18日

ラッセル教育論  教育再生委員会委員ら、教育問題を建設的に議論したい人々が読むべき一冊

 教育問題は日本だけではなく、世界各国(特にOECD諸国)において大いに議論されている問題である。

 ところが、議論の中身を見てみると、どうも事実誤認や誤解、思い込み、先入観、ステレオタイプに満ち溢れているように思われる。

 なぜそのような議論になってしまうのか。

 理由は簡単である。

 議論する者に、


教育に対する基本的な理解が欠如している


からである。

 もし、教育問題を建設的に議論したいのならば、議論しようとする者は教育に対する基本的な理解を補うべぎてある。

 では、何によって教育に対する基本的な理解を補うべきか。

 岩波文庫の中の数冊を読んで教育に対する基本的な理解を補うべきである。

教育に対する基本的な理解を補うことのできる岩波文庫、その一冊目は

 ラッセル教育論

 である。

 20世紀を代表する知の巨人、B・ラッセルが記した教育論「ラッセル教育論」は現代の教育を考える上で非常に有益な一冊である。

 この本を一冊で言い表すならば、

 自由と知性と愛に裏打ちされた教育論

 という言葉が似合う。
 
 ではどのようなことが書かれているのか。

 「ラッセル教育論」からの幾つかのフレーズから容易に推認できるだろう。

「心ない残酷さを取り除くには、建設と成長に対する興味を伸ばしてやるのが一番の近道である」

「必要な観念は、公平の観念であって、自己犠牲の観念ではない」

体罰が常習的になっている場合には、少年たちはこれに慣れっこになって、自然の成りゆきの一部として覚悟するようになる。しかし、それでは、権威を保つためには肉体的な苦痛を与えるのは正当かつ適切である、という観念に少年たちを慣れさせることになる――これは、将来権力の座につきそうな連中に与えるには特に危険な教訓と言わなければならない。また、体罰は、親子の間に、さらに師弟の間にも存在しなければならない、わだかまりのない信頼関係をこわしてしまう」

「子供に抽象的な道徳教育を授けるのは、馬鹿げたことであり、時間の浪費である」

遊びをしなければ、子供は緊張し、神経質になる。生きている喜びを失い、不安が募ってくる」

教育に対する衝動は生徒の側から生まれなければならないという大原則は、何歳になってもあてはめてもよいと思われる」

「教育を通じて、その最初の日から最後の日まで、知的冒険の感覚がなければならない」

「第一、必要な技術を身につけているのではないかぎり、何ぴとも重要な仕事につくことは許されない。第二、この技術は親の財産とはまったく無関係に、それを望む者のうちで最も有能な人びとに教えられるべきである。この二つの原則が、能率をいちじるしく高めることは明らかである」

「偉大な進歩はおしなべて、最初は純粋に理論的なものであり、のちになってはじめて、実際に応用できることがわかるものである」

「子弟が通常教えられている以上に授業の分量を増やすことは、重要なことではない。重要なのは、冒険と自由の精神である。つまり、発見の航海に乗り出そうとする感覚である。もしも、正規の教育がこのような精神のもとに授けられるならば、ますます多くの知的な生徒が、みずからの努力でこの教育を補っていくだろう」

posted by ああっ、岩波文庫っ! at 13:18 | Comment(26) | TrackBack(6) | 日記
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